【007 リビングデイライツ】~おすすめ第3位~1987年

(注)ネタバレを含みますのでご注意ください。

# year actor movie & poster U-NEXT rates & details
17 1987 Timothy Dalton 007 リビングデイライツ Jump to U-NEXT ★★★★(82点3位)
印象 主役 脇役 音楽 現実味 脚本 演出 大道具 小道具 ロケ地 合計点
9 9 8 8 8 8 8 8 8 8 82

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印象:

6代目007ダニエル・クレイグ以前の「007」を象徴するような作品。どれかひとつだけ007を観なければならない場合には、この作品をおすすめする。これさえ観れば他は観なくてもいいくらい007の基本的な事項は真面目な形ですべて押さえられている(ただし007伝統の、カジノのシーンがないため「マティーニをシェイクで。ステアではなく(かき混ぜないで)」は登場しない)。

ロンドンのトラファルガー広場にあるユニバーサル貿易のオフィス(MI-6の隠れ蓑)においてQ課(武器開発課)のへんてこな武器の数々を披露するシーンは他のどの作品よりも長く念入りに作り込まれていた。ただし「ラジカセ型ミサイル」などは時代を感じさせた。
SFXやCGなんかもまだない時代なので危険なシーンもスタントマンか、あるいは出演俳優が生身で演じた。

主役:

ティモシー・ダルトンは実は1971年にショーン・コネリーの後釜としてボンド役を打診されたのだが、若過ぎる(25歳)とのことで自ら辞退したとのこと。また今回のリビングデイライツでは、サム・ニール(ジュラシックパークの人。ニュージーランド出身)に決まりかけていたらしい。候補の中にはメル・ギブソンもいたそうだが「ギブソンを起用したら007ではなくギブソンの映画になってしまう」として逆に制作側から断ったそうだ。更にダルトンより前に5代目ボンドのピアース・ブロスナンにも打診されたのだが、テレビドラマ「探偵レミントンスティール」の撮影が忙しく断ったとのこと。で、最終的にダルトンに決まったそう。彼はこの作品が初登場なのだが、既にベテランの諜報部員として知られた存在で女好きのプレイボーイであるらしいこともきちんと描かれている。しかし彼のボンドは他の作品と違って紳士に徹している。ロジャー・ムーアの演ずるボンドように、とりあえず会った女性と全て寝るようなことはしない。ちなみに故ダイアナ妃はティモシー・ダルトンのことが偉くお気に入りだったらしい。

脇役:

チェコスロバキアのチェロ奏者カーラ・ミロビィ(マリアム・ダボ)がボンドガールである。

彼女はセクシーというより可愛いタイプである。そのためかどうか不明だが、ボンドはカーラを大切に扱うことになる。
またこの作品と次の「消されたライセンス」でMの秘書マニー・ペニーを演じたキャロライン・ブリスはいかにもイギリス女性っぽくて可愛かった。彼女がボンドをバリー・マニロゥのコンサートに誘って断られる場面があったが、それも今となっては時代を感じる。

その一方でたいへん残念だったのが「敵」として登場するソ連の汚職高官であるコスコフ将軍(ジェローン・クラッベ)

と武器武器商人のウィティカー(ジョー・ドン・ベイカー)

がいかにも小粒で頭が悪く描かれていた(あくまでも脚本上の話)のでその分緊迫感に欠けた。
また殺し屋のアンドレアス・ウィズニュースキーもスリムでイケメン過ぎて緊迫感に欠けた。しかも殺し屋が二人しかいなかった(そのうち一人は冒頭で死亡)。悪役がしょぼかったところが、この作品唯一の残念な点である。

またボンドの同業者、CIAのフリックス・ライターも登場していた。これまたイケメンで3人ほどの美女スパイを従えていた。次作の「消されたライセンス」でのライターとは別の俳優さんであった。

音楽:

主題歌は1980年代後半を代表するノルウェー出身の人気バンドa-haの「リビングデイライツ」。

当初、ペット・ショップ・ボーイズの「This Must Be the Place I Waited Years to Leave」とされる予定だったが諸々の理由でa-haになった。
007シリーズの音楽の中でいかにもそれらしいものは、実はそれほど多くはない。ドクターノオ、ロシアより愛を込めて、ゴールドフィンガー、サンダーボール作戦、007は二度死ぬ、ネバー・セイ・ネバー・アゲイン、リビングデイライツ、消されたライセンス、ゴールデンアイ、カジノロワイヤル(2006年)、スカイフォールくらいのものである。

現実味:

映画が作られた1987年前後、1985年に誕生したゴルバチョフ政権による改革(グラスノスチおよびペレストロイカ)により民主化されつつあったソ連のイメージはそれまでのものとは変わってきていた。

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ソ連の弱体化は東西冷戦による007シリーズの現実味を失わせるのに十分であったが、そこをあえて「亡命した高官」と「国際武器商人」を敵役とすることでリアリティを持たせていた。その後ソ連は崩壊し1989年にベルリンの壁が撤去されたとき(1989~1990年、わたしは仕事でロンドンにいた)、「007シリーズはもう作られることもあるまい」と思ったものだがそんなことは全くなく、むしろその後の方が面白い作品ができるようになっていった。

脚本:

ソ連の高官コスコフがMI-6の助けを借りて亡命し「今ソ連では西側のスパイ抹殺計画が実行されている。首謀者はプーシキン将軍(ジョン・リス・デイヴィス=レイダース~失われたアークでサラーを演じた人)だ」とイギリス政府に密告しその直後にKGBに奪還される。

だがこれはコスコフと武器商人のウィティカーが仕組んだ、プーシキン将軍をボンドに殺させるための芝居だった。コスコフはその愛人のチェロ奏者カーラに自分狙撃させる芝居をさせ、彼女をボンドに射殺させる計画だったがボンドは「この狙撃手はプロではない」と察知し射殺しなかった。「女好きなのでわざと殺さなかった」と同僚に批判されたが彼女を殺さなかったことで徐々に事件の真相に近づいていく、という筋書きである。随所に「そんなはずないだろう」な部分も出てくるが、それまでの007シリーズに比べてしっかりしたストーリーであると感心させられた。

演出:

MI-6が胡散臭いコスコフ将軍の密告を信用してボンドにプーシキン将軍暗殺を指令する部分は情報組織としては裏付け捜査があまりにも甘く「そんな感じでいいのか?」と疑ったし、ソ連の高官プーシキン将軍とボンドが結託し、自身を暗殺されたことにする芝居を第三国(モロッコ)で行う部分は現場の人員に権限を与え過ぎのきらいがあり「あり得ない」と思ったし、コスコフに捕らえられ、アフガニスタンのソ連の空軍基地にカーラとともに連行されたのちに脱出するくだりもソ連軍の兵士がしょぼすぎて「そんなはずはあるまい」と思ったが、そこにムジャハディン(=レジスタンス。中東の対ソ連反抗組織)を絡ませることによって本物らしく見せていた。この辺の荒唐無稽な演出は007シリーズの伝統的な部分である。ショーン・コネリーやロジャー・ムーアの頃はやり過ぎであったが。

大道具:

冒頭のジブラルタルでのNATOの訓練シーン(輸送機から落下傘で降下するシーン)やロンドン郊外のMI-6の隠れ家・ストーナー・ハウスでコスコフ将軍が奪還されるシーン、ブラチスラバやウィーンでのコンサートのシーン、軍用機でソ連の空軍基地を脱出するシーンなど、大道具というよりは「本物」を使うことにより現実味を持たせており、その効果は十分であった。ただしわたしよりも眼の肥えているわたしの娘によれば「ストーナー・ハウスでの格闘シーンは壊される家具が予めわかってしまうほどわざとらしい(稚拙な)作りに見えた」らしい。恐るべし、最近の若者。

小道具:

ボンドカーとして登場するアストンマーチンはとても良い出来でなにより格好良かった。

車自体のデザインは歴代アストンマーチンの中で一番良かった。後部座席にチェロを入れるために前席を前に倒すシーンにおいてはシートが若干安っぽく見えてしまったのは残念であった。しかしそれをいとも簡単に破壊してしまうところはいかにも007映画らしい部分であった。それ以外には世界のほとんどの錠前を開けられるキーがついていたり、毒ガスを発したり、爆発したりするキーホルダー。ハッキリ言ってアストンマーチン以外はかなり地味であった。

ロケ地:

ロケ地もジブラルタル、チェコスロバキア、オーストリア、イギリス、モロッコ、中東の砂漠と観光旅行的要素も満載だった。特にウィーンのシェーンブルン宮殿前での描写や「第三の男」で有名な遊園地・プラターでのシーンは思わず海外旅行に行きたくなってしまうほどだった。


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