【007映画を楽しく観る方法】007映画が面白い理由

【この秋公開予定の「007 No Time To Die」】

007シリーズはなぜ人気があるのか

映画を観る目的は人によって千差万別である。わたしはなるべく日常生活からかけ離れつつもリアリティがあり、かつ荒唐無稽で観終わった後はスカッとしてリフレッシュできるものを好む。

好まないのは徹底してリアリズムを追求し精神世界に没入しこの世に存在する様々な問題点を鋭くえぐり出し見終わった後もその問題点が頭の中に残りそれについて悩まされてしまうようなものだ。

007は圧倒的に前者の、難しく考えなくていい「娯楽映画」である。いわゆる「勧善懲悪」の能天気な物語であり、世界中の観光地を巡る「観光促進映画」でありタイアップした企業とのコラボ商品を登場人物に身につけさせる「宣伝映画」である。この3つの視点により007を好む人は楽しく感じてしまうのだと考えている。

その楽しさを体感するために多くの人は映画館へ行き制作会社が儲かり、宣伝された地域に観光客が訪れることによる経済効果をもたらし、宣伝された企業も製品が売れて儲かる、という「一粒で三度おいしい」というのが007シリーズの特徴でありビジネスモデルなのだ。

007映画の全リスト

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「娯楽映画」としての視点

絶対に007は死なない、という安心感から観客は007がどんなピンチに陥っても安心してみていられる。ほとんど脱出不可能な状況からあり得ない方法で脱出し、たいていの場合は大爆発を伴う。あの大爆発が観客になにがしかのエクスタシーを与えているのではないかとわたしは考える。

また007は順法意識や道徳の観念に著しく欠けているためスクリーン上でやりたい放題だ。気に入らない奴(悪者)はワルサーPPKで撃ち殺し、きれいな女性がいれば瞬く間に手を出し、高級スーツとオメガの高級腕時計(しかも新製品)を身にまとい、ボランジェのシャンパンやマッカランのウィスキーを飲み、数千万円のアストンマーチンをおもちゃのように扱った挙句いとも簡単にぶっ壊す。

一から十まであり得ない設定なのだが、これにより見ている人になにがしかの満足感を与えるのだ。現実世界ではできないことを観客に代わりスクリーン上で派手に実現するのだ。わたしは007シリーズを「大人のおとぎ話」と考えている。

007映画の全リスト

「観光促進映画」としての視点

日本の二時間ドラマよろしく事件は世界各地の有名観光地でおこる。そんな風光明媚な場所でカーチェイスを行い、スキーで滑降し、パラシュートをつけて飛び込み、ヘリコプターを撃ち落とし、オートバイで爆走し、ワルサーPPKを撃ちまくる。ロケが行われた観光地は未来永劫「007で登場した〇〇でござい」と宣伝ができる。

例えば「スペクター」のときなんかは冒頭のメキシコの「死者の祭り」のシーンでメキシコが舞台になっていたためにメキシコ政府観光局が六本木ヒルズのTohoシネマで日本の主要旅行業関係者数百人を無料で招待し試写会を行ったのだ。これを世界中で行うことにより世界中からメキシコへの観光客が増える。


007シリーズ第24作「スペクター(2015年)」(注)クリックするとU-NEXTにリンクしますが007シリーズをご覧になる際、1作あたり¥199別途かかります。

例えば「女王陛下の007」ではスイス・ユングフラウ地方のシルトホルン山頂にある回転レストランが「悪の要塞」として使用されたが、なんと50年以上たった今でも「女王陛下の007で有名なシルトホルン」、と観光促進のコピーに利用されている(以下)。

ラウターブルンネン発
【プライベートツアー】日本語ガイドと列車で行く シルトホルン午前ハイキング付観光(ジェームズ・ボンド朝食付き)

007シリーズ第6作「女王陛下の007(1969年)」(注)クリックするとU-NEXTにリンクしますが007シリーズをご覧になる際、1作あたり¥199別途かかります。

007映画の全リスト

「宣伝映画」としての視点

2020年4月に封切り予定だった「No Time To Die」は新型コロナの影響で2021年2月現在、まだ封切されていない。2021年の秋になる予定である、と言われている。この1年半のズレ込みにより「宣伝映画」としていくつかの問題が生じてしまった。映画に登場するいくつかのアイテムが新商品ではなくなってしまったのである。

少なくとも、ノキアのスマホ、ボランジェのシャンパン、アディダスのスポーツ用品、オメガの時計の登場シーンで「撮り直し」が行われるそうだ。映画は通常こんなことで撮り直しなんかしないのだが、007は特別なのだ。新商品を提供している企業とも「コラボレーション」している関係で、取り直さざるを得ないのだ。

新商品かどうかにこれだけこだわるのは、映画に登場した商品が爆発的に売り上げを伸ばすことの裏返しなのだ。そんなこともあって企業は制作会社のスポンサーとなり、制作費を負担する。

これら3つの要素が融合し、007は不動の人気を誇りつつ50年以上の長きにわたり映画界に君臨し続けてきたのだ。

以下はハイネケンとのコラボCMである。

007映画の全リスト

007シリーズのなかのテイストの違い

007映画の全リストでは各作品に独断と偏見で点数をつけて紹介してみたが、同じシリーズであるにもかかわらず主演俳優が歴代で6人おり、脚本家も監督も次々に代わっていることから、作風には相当な違いがあるのもまた事実だ。

その違いは主にリアリズムなのか荒唐無稽なのかの度合いと、シリアスなのかコメディなのかの度合いで顕著にみられる。

「007 カジノロワイヤル」

ここで例として挙げるのは★★★★★(90点2位)の「007 カジノロワイヤル」である。事件の背景(テーマ)と悪役の存在感や振る舞いに大きくリアリティが感じられ、シリアスな作風となっている。犯罪テロ組織の資金を株の不正操作をしてマネーロンダリングを行っている悪党が飛行機を爆破して、その直前に空売りした航空会社の株で利益を出そうとしていたところをボンドが阻止し、そこでの赤字を解消しようと中欧のカジノで大勝負をする悪党にボンドがポーカーで勝負を挑む、という物語である。映画の中でアメリカ同時多発テロ(911)のときに同様の手口で儲けを出したやつがいる、とM(ボンドの上司)がつぶやく場面があるが、世相に呼応してリアリティを感じさせるにぴったりのセリフであった。この作品は荒唐無稽な部分が極端に少ないのだが、その分リアリティが高くシリアスな作風のため、少ない荒唐無稽な部分がより強調されて楽しい、面白い、と感じてしまうのだ。


007シリーズ第21作「007 カジノロワイヤル(2006年)」(注)クリックするとU-NEXTにリンクしますが007シリーズをご覧になる際、1作あたり¥199別途かかります。

「007は二度死ぬ」

もう一つ例を挙げるとすれば★(41点22位)の「007は二度死ぬ」だ。日本が舞台である。これはテーマが既に荒唐無稽過ぎて破綻しており、それに加えて作風がコメディなのだ(作られた当初はシリアスに作ったものと考えられるが今見たら喜劇としか言いようがない)。悪の組織スペクターが阿蘇山の地下に大規模でとてつもなくしょぼい施設をつくり世界征服を狙うという設定自体コントなのに、この作品はそれらに加えて英国情報部の日本の出先機関が姫路城で、そこで忍術の訓練をする忍者養成施設があり、ボンドはそこで修業を積み、阿蘇山潜入のため日本人と結婚(神前)し、日本の漁師となって麦わら帽子をかぶり首に手ぬぐいをまいて漁に出る、というまことに意味不明な演出がなされていた。この時点でジェームズ・ボンドは破綻していたのだが、その後彼はグレーの全身タイツ姿(もじもじくんのようだ)となって阿蘇残の地下のとんでもなくしょぼい施設に潜入してそれは破壊するのだ(しょぼいので破壊するまでもないと思ってしまったが)。ショーン・コネリー一生の不覚といったシーンが満載なのだ。格好良さは微塵もなかった。また日本の風呂は複数の女性が全裸に近いビキニ姿で男性の体を丁寧に洗ってくれるという、日本の風呂についてかなり間違ったメッセージを世界中に発信しているような演出も出てくる。脚本家はいったい日本のどこで取材をしたのか深く疑問に思う部分であった。全体的に、なにかこれは007シリーズではないんではないかと錯覚してしまうような作品であった。


007シリーズ第5作「007は二度死ぬ(1967年)」(注)クリックするとU-NEXTにリンクしますが007シリーズをご覧になる際、1作あたり¥199別途かかります。

こういったコメディ作品はショーン・コネリー、ロジャー・ムーアの頃に多く、それでも映画を撮るたびに多くの観客を動員していたので、そういうのが好まれた時代だったんだろうと推察される。いまとなっては最後まで観るのが困難な作品が多い。

なので本物、というかわたしの好む、娯楽映画の条件はリアル度が高くクライマックスは荒唐無稽だが作風はなるべくシリアスに、というものになるのだ。



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