派閥の歴史と「派閥が悪なのか?」の議論と『ワシがキングメーカーじゃあっ!』な麻生太郎さんのLINEスタンプ

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「ここまで露骨にやるのか」副総裁も幹事長も総務会長も「麻生派」 “解党的出直し”掲げる中「派閥政治の回帰」と批判の声 高市・新執行部始動

いや、隠す方が不自然であろう。

そもそも派閥とは何なのか?

派閥は悪なのか?

そんなことをつらつらと考えてみた。

日本における派閥政治の歴史とその功罪 ― 「派閥=悪」という誤解に警鐘を鳴らす



公開日:2025年10月7日 | カテゴリ:日本政治史・政治文化

目次

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「派閥政治」と聞くと、多くの人は「密室」「談合」「金権政治」といった負のイメージを抱くだろう。だが、派閥とは本来、政治家が理念や政策を共有して形成される自然な政治集団である。本稿では、明治維新から現代政治に至るまで、日本の派閥政治の歴史を体系的にたどり、その実態と功罪を明らかにする。そして結論として、派閥そのものが悪ではなく、それを金儲けの道具として利用する構造こそが問題であると指摘したい。


第1章 明治維新と藩閥政治 ― 派閥の原型

日本の派閥政治の原点は、明治維新期における「藩閥政治」である。薩摩・長州・土佐・肥前といった出身藩の人脈が明治政府の中枢を占め、政治的主導権を握った。これがのちの派閥構造の原型となった。

伊藤博文や山県有朋を中心とする長州閥、黒田清隆や西郷隆盛を代表する薩摩閥は、官僚機構や軍部を通じて権力を分有した。こうした藩閥は政策形成において強力な役割を果たしたが、一方で国民からの政治的距離を拡大させた。

第2章 大正デモクラシー期 ― 政党派閥の萌芽

明治後期から大正期にかけて、藩閥政治は徐々に政党政治へと移行する。立憲政友会や憲政会が台頭し、党内にも意見や路線の違いによる「派閥」が生まれた。原敬は政友会内で強い統率力を発揮したが、同時に内部対立も深刻化した。

この時代の派閥は、主に政策・理念の相違によるものであり、利権よりも「討論と政策形成の場」としての健全性を持っていた点が特徴である。

第3章 戦後と55年体制 ― 派閥政治の制度化

敗戦後、GHQのもとで日本は民主化を進め、政党が再編された。1955年の保守合同により自由民主党(自民党)が誕生し、派閥政治は新たな段階に入る。

自民党内では、旧自由党・民主党系の人脈を中心に派閥が形成され、それぞれが独自の政策・資金・人事ネットワークを持った。これが「派閥政治」の制度化をもたらし、政治運営の裏側を支配する力となった。

第4章 田中角栄と派閥政治の黄金時代

1970年代、田中角栄が率いた「田中派」は派閥政治の象徴的存在となる。田中は「地方に金を流す」政治手法で国土開発を推進し、地方票を大量に獲得した。彼の手腕により田中派は党内最大勢力となった。

しかし、ロッキード事件によって「政治と金」の問題が露呈し、派閥政治に対する国民の不信感が高まる。とはいえ、田中派は竹下登・金丸信・小渕恵三・小沢一郎らを育て、長く政界に影響を与えた。

第5章 竹下登と平成初期の派閥再編

竹下登は「調整型政治家」として知られ、派閥間の利害を調整しながら政権を安定化させた。一方で、派閥を通じた資金の流れが問題視され、リクルート事件が発生。派閥政治の闇が再び浮き彫りになった。

1994年の政治改革による小選挙区比例代表並立制の導入は、派閥の資金的・人事的支配力を弱めた。しかし派閥そのものは存続し、若手育成や政策形成の場としての役割を保ち続けた。

第6章 小泉純一郎と「脱派閥」政治

2001年、小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」と宣言して総裁選に勝利。派閥に依存しない個人主導型の選挙戦略を確立した。メディアを通じた直接訴求により、国民的人気を得た。

しかし、派閥の完全な消滅は実現しなかった。総裁選後も、派閥は党内調整や人材登用において重要な役割を果たし続けた。派閥は「影響力の可視化」から「調整機構」へと変質していったのである。

第7章 安倍晋三政権と派閥の復権

第二次安倍政権期、派閥政治は再び力を取り戻した。安倍派(清和政策研究会)は最大勢力となり、政策や人事に大きな影響力を持った。派閥は人材育成・政策提言の場として再評価され、党内の安定を支える装置となった。

ただし、派閥が再び巨大化することで「密室政治」「忖度政治」が復活したとの批判も根強かった。

第8章 現代の派閥政治と課題

2020年代、政治資金パーティー問題や安倍派の会計不正などが相次ぎ、派閥政治は再び批判の的となる。2024年には安倍派が解散し、各派閥が再編に追い込まれた。

それでも派閥は完全には消滅していない。理念を共有し、政策を議論する「政策集団」としての派閥が新たな形で復活する兆しもある。

第9章 派閥の功罪 ― 支配か支援か

派閥の功績としては、若手育成、政策形成、政権安定などが挙げられる。派閥は「政治学校」として、若手議員が国政運営を学ぶ機能を果たしてきた。一方で、派閥を通じた資金配分やポスト要求は腐敗の温床ともなった。

つまり、派閥には「支配構造」としての顔と、「支援ネットワーク」としての顔が共存している。問題はどちらに傾くかであり、派閥の存在そのものを悪と断じるのは短絡的である。

第10章 結論 ― 「派閥=悪」という思考停止に警鐘を

派閥とは、同じ理念や政策を共有する政治家が協力し、国家運営を支える仕組みである。健全な派閥は政治を安定させ、専門性を高め、国民の利益に資する。

問題は、派閥が「金儲けの道具」と化したときに起こる。政治資金を集め、利権を操作するための組織に堕した瞬間、それは腐敗を生む。だが、派閥を完全に否定することは政治の自然な発展を否定するに等しい。

したがって、「派閥=悪」という単純な構図に陥るのではなく、派閥の本質的役割と健全なあり方を再考することが求められている。派閥を政策と信念の共同体として再構築することこそ、真に成熟した民主主義への道である。


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まとめ

派閥政治の歴史は、日本政治の成長と課題の縮図である。派閥は時に腐敗を生み、時に安定をもたらした。だが、派閥の存在そのものが悪なのではない。問題は、権力と金が結びついたときに生まれる構造的腐敗である。派閥を再び政策と理念の軸に戻すことが、今後の日本政治の健全化への第一歩である。

タグ: 派閥政治, 日本政治史, 自民党派閥, 田中角栄, 政治と金, 派閥の功罪

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